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川崎造船所時代1906年(明治39年)~1927年(昭和2年)

1919年(大正8年)10月1日 兵庫工場でわが国初の8時間労働制実施

先駆的な労働条件を提示

当社は松方社長の先進的な経営理念に基づき、早くから欧米諸国の労働状況を研究し、従業員の待遇改善を心がけてきた。 就業時間の短縮や賃金の改正などについては、役員会で十分に審議して成案を得ていた。

しかし、全国的な労働運動の展開と時を同じくして、当社でも労働争議が発生した。
大正8年(1919年)9月、本社工場(造船工場)の労働者代表が賃上げと年2回の賞与支給など4項目の要求を会社に申し入れたのである。
その交渉中、争議団はサボタージュ(怠業)という新しい戦術をもって会社に対抗したが、松方社長はかねての腹案であった 「8時間労働制」の実施を争議団の先手を打って提示した。交渉の席にいた従業員代表は驚嘆の気持ちを隠せなかったという。
当時わが国の産業界において8時間制を採用しているところはなく、そのような回答が出ることなど予想もしていなかったのである。

この結果、争議は大正8年9月27日、急速に解決をみた。従来の1日就業10時間制は8時間制に改められ、就業8時間に対しそれまでと同額の賃金を支給するとともに、残業時間の歩増し調整と増給を含めた8時間就業制が、同年10月1日から兵庫・葺合両分工場において実施されたのである。
本社工場(造船工場)は職場の争議収束を見届けた後の同月3日から、分工場と同様8時間制実施に踏み切った。

8時間労働制発祥の地記念碑(神戸ハーバーランド、平成5年)

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