世界記録を残した
川崎重工の
トンネル掘削機

1991年5月22日、ヨーロッパ大陸とブリテン島を鉄道で結ぶ
英仏海峡海底鉄道トンネルの1本(T2)が貫通した瞬間である。

1991.5.22

ヨーロッパを再び陸続きにした
「鉄のモグラ」

イギリスとフランスをつなぐ「英仏海峡海底鉄道トンネル」。
まさにEU(欧州連合)統合の象徴であるこのトンネルには、現在、イギリス・フランス・ベルギーの3カ国が共同開発した「ユーロスター」と呼ばれる超特急電車がパリ~ロンドン間を最速2時間15分の速さで結び、年間1,000万人以上に利用されている。また、「ル・シャトル」と呼ばれる2階建てのカートレインサービスや、貨物専用列車が頻繁に運行されおり、このような大量高速輸送網の構築によって、トンネルは今やEUの政治や経済を支える重要なインフラとなっている。1991年5月、いまから約4,000万年前の氷河期に分断されたまま、永らく海を隔ててきたヨーロッパ大陸とブリテン島をふたたび陸続きにするという、ナポレオン以来の200年におよぶ壮大な夢を実現させたのは、いわゆる「鉄のモグラ」といわれた川崎重工の2基のトンネル掘削機(Tunnel Boring Machines,以下TBM)であった。

フランスからイギリスへ向かうトンネルの入り口

0th Plan

th
Plan

ナポレオンの構想以来200年、
27度目のトンネル建設計画

これまでに計画され、挫折した26回のトンネル建設。 19世紀初頭、ナポレオン1世がイギリスに向けてトンネル建設計画を立てて以来、イギリス・フランス両国の野心家のロマンをかきたててきた「夢のトンネル」は、これまでの歴史的な背景によって、幾度と無く計画するも実現しない歴史を繰り返してきた。 一方、ドーバー海峡では大型フェリーが転覆するなど、多くの海難事故が発生してきたという過去から、いつしか海峡を結ぶトンネルは「夢」から、人々の切実な「願い」となっていた。 だが、27番目の計画にして、ようやくその「夢」が結ばれようとしていた。 1984年にイギリス・フランス両国首脳で合意、1986年に両国間で建設協定が調印され、プロジェクトはスタートした。繰り返された計画中止の歴史があっただけに、危惧の声も聞かれたが、プロジェクトは順調に進んでいた。 なぜなら、翌年に迫っていたEC(EUの前身)統合にむけて、単一市場を円滑に機能させるために、人や物の往来を妨げるものがあってはならないという背景があったからだ。 欧州各国がEC統合の中で経済力を高めていくためには、海峡を越えて高速且つ大量に輸送できる交通輸送網が必要不可欠であり、英仏海峡海底鉄道トンネルは、そのネットワークづくりのキーポイントでもあった。

ナポレオン1世が挑んだトンネル掘削。
その立坑は200年のときを越えて、海峡を望む丘の上にいまも残る

16km

「1ヶ月平均530メートルの速度で、
1基が16キロを連続掘削すること」
掘削の条件は困難なものであった

民間資金によって建設・運営を行うこのプロジェクトでは、金利負担を軽くするためにも「いかに早く掘り、開業を早めるか」というところに最大の技術的課題があった。川崎重工が工事担当のTMC社から受注した2基のTBMは、フランス側サンガットの立坑からイギリスに向けて海底部を進んだ鉄道用の主トンネル2本(T2、T3)を掘削するためのものであるが、フランス側の地層が複雑であり、トンネル掘削でもっとも難しい部分であった。 それに加え、TMC社からさらなる厳しい条件を提示される。 計画では、距離38キロの海底部分をフランス側から16キロ、イギリス側から22キロで掘り進めて、2年半で完成させるというのである。これを実現するためには、1ヶ月に530メートルの高速掘削が要求される。当時、日本での掘削スピードは月進150~200メートルが精一杯であった。また、海面下100メートル、海底下40メートルの硬軟地層が入り組む地中では、平均10気圧にもなる。これまでの掘削の実績はせいぜい3~4気圧ぐらいのものであったが、この条件の下、1基のみで16キロを連続掘削するという厳しい条件を与えられたのであった。

1,200
m/month

最大月進1,200メートルを記録、
川崎重工のトップメーカーとしての熱意が、
かつてないトンネル掘削機を生み出した

地質や工期の厳しい条件に加え、TBMの制作についても、設計を含めて完成まで、わずかに13ヶ月というタイトなスケジュールであった。この厳しい条件に応じた背景には、これまで数多くのトンネル掘削機を手がけてきたトップメーカーとしての熱意があった。そして部品総数10万点超という、複雑ながらあくまでも強固な2基のTBMを予定通りに完成させた。1基は播磨工場、別の1基はフランスで組み立てられた。 1988年12月、播磨工場から送り出されたTBMがフランス側より発進したが、機械の操作も慣れぬうちに複雑な地層を通らねばならず、連日のように高圧水に悩まされ、試行錯誤を繰り返しながら苦しい半年が続いた。 しかし、その地層を抜けてからの掘進はめざましかった。当初の計画であった月進500メートルという目標を軽々とクリアし、なんと最大月進では1,200メートルを記録したのである。当初の目標点であった16キロの地点には8ヵ月も早く到達する結果となり、かつてないTBMが生み出された瞬間であった。また、その功績から、さらに4キロの掘削契約保障距離の延長が要請され、貫通地点はイギリス国境を越え、出発した地点から20キロまで延長された。

TBM輸送中の写真

TBMが当社・播磨工場で組立・試運転を終えた

AM11:30

1991年5月22日、
午前11時30分、
海面下100メートルで吹き抜けた風と共に
大きなどよめきが起こった

そして、1991年5月22日、午前11時30分。ドーバー海峡の海面下100メートルの地中で大きなどよめきが起こった。イギリスとフランス、というよりヨーロッパ大陸とブリテン島を鉄道で結ぶ英仏海峡海底鉄道トンネルの1本(T2)が貫通した瞬間である。1988年12月に発進したフランス側サンガットの立坑から、ちょうど20キロの地点を4キロも越え、しかも予定より早く貫通。月進速度、連続掘削距離などで数々の記録を打ち立てた川崎重工のTBMは、フランス側の現場最高責任者に「プロペラ機の時代にジェット機が登場したほどの歴史的革新だ」と評価された。 T2貫通に続き、6月28日にはT3も貫通。総延長150キロにも及ぶすべてのトンネルの掘削が完了した。 そしてこの“貫通”は、まさにヨーロッパが“鉄道”で1つに結ばれる確かな道をつけた歴史的瞬間となり、トンネル内は大きな歓声に包まれたのであった。

T2貫通。ドーバーの海底下で2年半戦い続けてきたTBMの使命は、
完璧な成功で幕を閉じた

人車に乗って、20キロ先の切羽に向かう

ヨーロッパに開かれた
新しい歴史の1ページ

ナポレオンの計画以来、200年の時の流れと26回の計画中断を経て、ついに実現した英仏海峡海底鉄道トンネル――― そのトンネルが完成し、鉄道が開通したことで、新時代の始まりとなった。 イギリスとフランスは14世紀から15世紀にかけて「100年戦争」を戦ったこともある。そのような歴史もあったからこそ、ヨーロッパ全体が経済の統合から政治まで含めた真の統合へと向かうため、このトンネルの開通は大きなインパクトを与えることとなった。 川崎重工のTBMは、ヨーロッパの歴史と未来にとって、そしてトンネル掘削の歴史と未来にとって、偉業を成し遂げたのである。

英仏海峡海底鉄道トンネルの開業を記念して、2本の主鉄道トンネルに掘削機を送り込んだ川崎重工からユーロトンネル社に渡された、TBMのカッターヘッドを使用したモニュメント

TBMのしくみ

TBMはいくつかのブロックに分割して現地へ運ばれる。現地ではまず地上から垂直に穴を掘り、ここから地下に下ろしてTBMを組み立てる。先端のカッターヘッドを回転(ユーロトンネル用トンネル掘削機は毎分3回転)させることで土を削り、掘られた土砂はスクリュウコンベアによって取り出される。掘削されたトンネルは、掘削された鉄筋コンクリート製のセグメントでトンネルの壁面を組み立てていき、取り付けられたセグメントをスラストジャッキで押して、TBMは前に進んでいく。土砂の崩れを防ぎながら掘り進み、掘ったそばから補強する。モグラ工法とも言われるトンネル掘削機の掘削方式である。
カッターヘッド
スラストジャッキ
セグメント
スクリュウコンベア
直径
8.78m
全長13.75m
真空吸着装置によるセグメント組立が施工をスムースにした

Kawasaki Group Channel