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川崎重工時代1969年(昭和44年)~

1969年(昭和44年) 川崎重工業・川崎航空機工業・川崎車輌の3社が合併、新たに川崎重工業株式会社として発足 兵庫工場は車両事業本部となる

昭和40年(1965年)11月から昭和45年(1970年)の夏ごろまで続いた「いざなぎ景気」で、わが国の経済は史上空前といわれる大成長を遂げた。
この5年間の実質経済成長率は年平均13パーセントを上まわり、国民総生産は全世界でアメリカ・ソ連に次ぐ第3位 の座を占めた。
この経済大国になった日本に対し、アメリカをはじめとする諸外国から経済の自由化の促進を求める声が高まり、昭和42年(1967年)7月に資本の自由化が実施された。これを契機に、わが国産業界では国際競争力の強化を目的とする大企業の合併が相次ぎ、各業界の再編成が行われた。川崎グループでも、企業巨大化の流れやアメリカの巨大資本に対抗するために、大同団結する必要性に迫られていた。

このような背景から、川崎重工業の砂野仁社長は、松方幸次郎初代社長の理想とした陸・海・空にわたる総合重工業を再建したいとの念願もあって、川崎重工業・川崎車輌・川崎航空機工業の3社合併を決意した。
この3社は、もともと川崎造船所の事業としてスタートし、昭和初期の経済恐慌や戦時体制下の軍部の指導によってやむなく分離したものであったので、同一会社に戻ることになんら問題はなかった。当時、川崎車輌の経営は安定していたが、上田将雄社長は事業の成長や安定を図る長期的なビジョンに立ち、川崎3社が合併して人材・技術・設備を結集すべきであると判断、砂野社長の構想を了承した。

昭和43年3月19日、3社合併覚書の調印が行われた。
合併に当たっては、川崎重工業を存続会社とし、川崎車輌・川崎航空機工業を合併する形が取られた。

そして、昭和44年(1969年)4月1日、予定どおり合併が実施され、資本金280億円、従業員2万6000人の新生・川崎重工業株式会社が発足した。

3社合併によって新発足した川崎重工業において、旧川崎車輌の事業は車両事業部・建設機械事業部・自動車事業部の3事業部からなる車両事業本部として継承された

3社合併調印を終えた、左から四本、砂野、上田の各社長

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