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川崎車輌時代1928年(昭和3年)~1968年(昭和43年)

1928年(昭和3年)5月18日 兵庫工場を分離し、川崎車輌株式会社を設立 資本金1,200万円

昭和2年(1927年)3月の金融恐慌によって存続の危機に瀕した川崎造船所は、同年8月に再建のための整理案が債権者の了承を得たことで、ようやくこの危機を乗り越えるめどを立てたものの、引き続き資金調達に全力をあげねばならなかった。
そこで、松方幸次郎社長は、郷誠之助男爵にあらためて協力を要請した。 郷男爵は松方社長の願いを快く聞き入れ、早速、銀行に対して当社への融資の斡旋に乗り出した。

この結果、日本銀行、日本興業銀行、三井銀行など9銀行が当社への融資を受諾、シンジケートが結成された。
昭和2年12月、当時稼ぎ頭であった兵庫工場を母体として新会社を設立してこれを工場財団として抵当権を設定、また葺合工場には質権を設定して、この両工場を担保とするなどの条件で、必要資金約1,100万円の融資が決定された。

この融資条件に基づいて、昭和3年5月18日、兵庫工場は川崎造船所から分離され、鉄道車両の製造会社として独立した。
川崎車輌株式会社の誕生である。
初代社長には、元神戸市長で商工会議所会頭、川崎総本店総務理事の要職にあった鹿島房次郎が就任した。設立時の資本金は1,200万円、従業員は3,695人であった。

川崎車輌工場門 昭和3年(1928年)

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