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川崎造船所時代1906年(明治39年)~1927年(昭和2年)

1906年(明治39年) 神戸市の東尻池村に運河分工場を開設(兵庫工場の前身)鉄道車両を製造開始

川崎造船所北側に隣接する官営鉄道神戸工場 明治39年頃

川崎重工兵庫工場の歴史は、明治39年(1906年)5月に株式会社川崎造船所の臨時株主総会において、鉄道車両の製造への進出を決定し、 定款に「汽車・車輌・汽罐車」を加え、「運河分工場」と命名して工場建設に着手したことでその幕を開ける。

臨時株主総会記録 明治39年(1906年)

明治39年(1906年)5月、神戸市東尻池村の兵庫運河沿岸の約26,769坪(約8万8300平方メートル)の敷地で運河分工場の建設を開始した。

川崎造船所は資本金を1,000万円に増資し、本社工場の船台など建造施設を拡張する一方で、この新工場の建設費にあてた。運河分工場の建設地に定めた東尻池村は、和田の松原と謳われた景勝の地であった。明治23年に敷設されていた和田岬線と同32年に開通 していた 兵庫運河に隣接する地の利を得た絶好の立地であった。和田岬線は明治39年12月に国有化された。

運河分工場は、鋳鋼部と鉄道部から構成され、鋳鋼品と鉄道車両製造という新事業の拠点となった。運河分工場は、明治40年6月に兵庫分工場と改称、同年5月には鋳鋼工場を完成し、続いて9月には帝国鉄道庁向け橋桁の製造を開始した。

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